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一年があっという間過ぎて怖い 

2016-nyc-miyo.jpg

Happy New Year!!
This year's zodiac sign is the monkey.
I don't want to wear a monkey costume (lol), so I went with the famous "Three wise monkeys" and "see no evil, hear no evil, speak no evil."
I hope this helps you have a successful, wonderful year♡
---
Photo- Motoyasu Magafuchi
Stylist- Sawako Nakata
Hair Makeup- LinDa
Costume & Accessory- Mitemondo



あけましておめでとうございます。

SNSでちょっと大人めの写真をプロフィールやらヘッダーやらに設定したので、年賀状もそのテイストかと思わせて全然落ち着いてません。うふふ。

さっきようやく2015年ギリギリセーフで仕事納めしたので、年賀状はこれから書きます…。

2016年は水面下ではなく、ちゃんとmiyoとして空夜coo:yaとして皆様に作品がお届けできるように、いっぱい書いて歌う予定です(未定)。

今年もよろしくお願いします♡

miyo

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151216 

今となってはご存知の方は殆ど居ないだろうし、そもそも当人であるわたしがそのことをよく忘れるんだけど、わたしは歌うより前に、喋るより前に、一番最初に行った創作活動って『書くこと』…執筆で、初めて創作活動で収入を得たのも『書くこと』でした。

今はなき地元のちっちゃーい情報誌で、高校生作家として、エッセイ風の、まるでノンフィクションに読み取れる風のフィクションを、毎月原稿用紙15枚くらい…だから6,000字?を、一年半くらい連載したのかな?(地元民は誌面が手元に残ってても晒さないように!あの頃は個人情報ダダ漏れだから!笑)

当時のわたしは今より遥かに現実的で且つ腹黒かったので、自分の文章が拙いことも無知であることも承知の上。自分が制服を着た高校生であるからこそ成立している連載であるということをよく理解していたので、そういう自分の看板の掲げ方が正しかったのか、思った以上に幅広い年齢層の人が「実はファン」「あの連載面白い」って支持してくれて。

そのお陰でコミュニティFMなんかにお呼ばれされるようになって、時折電波に乗せてお喋りさせていただいたのがきっかけで、その後、MCやラウンジDJやナレーターなんかのお喋りのお仕事もいただくようになり。

最後に、歌うことでお仕事をいただくようになりました。歌は最後。


わたしはSMA経由で紹介された音楽事務所に、「キャラが面白い。何ができるの?よくわかんないけどウチに所属しなよ。上京して!」…という、ちょっとあり得ない軽いノリのスカウトをされて上京してるんですが。で、割と軽いノリで、基本は流れに逆らわない主義なので流されるまま上京しちゃったんですけど。

…ちなみにその頃のキャラ=見た目は、先日各種SNSにupしたピンクの衣装みたいなノリで、パンクスのお友達各位と重たい鋲ジャンを着て歩いてて、よく聴く音楽はハードコアで、ライブハウスでごろんごろんしてて、だけど書いてるものは現在の空夜coo:yaよりもっともっとネクラで内省的な文章、喋らせると微妙なアニメ声…っていう、ちぐはぐもいいところな感じ。

おかげさまでメジャーメーカー各位には「どうプロデュースしていいのか分からない」「カテゴライズしづらい」って、プレゼンの度に毎回ポイされ続けて今に至っております。…あ、ちなみにそれは今でも言われるんですけどね(もう慣れた)。どうやっても色んなとこからハミ出しちゃう人生なんでしょうね。笑


上京して、色んな人を紹介される中で出会った本田が、わたしと一緒に空夜coo:yaをやってくれることになったのも、その、書き溜めていた文章を読んだからでした。


でも、いろいろあって、本当にいろいろいろいろあって、1stの『上弦の月』がリリースされる少し前までは、1曲毎にショートストーリーを書き上げたりしていたのだけど、それもしなくなり。

たまに仕事で原稿を依頼されてmiyoの名前を出さずに書くことはあったけど、創作モードの脳みそを使わない作業だったし、本当に長い長い時間、作詞以外の『書く』という作業から遠のいていました。

そんな話をチラっとしたら、大御所作家のお友達から「書かないと、書く脳は退化しますよ。リハビリしないと!」って𠮟咤され。確かに…って思ってたタイミングで、本当に偶然、昔、まだ公式サイト上にショートストーリーを掲載していた頃をご存知のファンの方から、

生きづらくて生きづらくて、毎日泣いてばかりいたあの頃、空夜のHPに辿り着いてショートストーリーを読んで何かに気づき。それから間もなく発表された「上弦の月」を聴いて、やっとわたしは暗い穴ぐらの出口を探すことを始めました。今でも空夜はわたしのだいじな道標のひとつです。

というメッセージを頂戴し。

なんだかちょっと、色んなものがカチカチカチっとハマって、「リハビリしよう」って思ったのが半年くらい前。


所詮、高校生であることを盾にしてちっちゃいコミュニティで書いてウケた程度。その後は10代であることを盾にして…とか、常に、自分の立ち位置や世間からの見え方を見極めながら書いたことしかないんですけども。

でも、いつも突然やって来る、頭にいっぱい言葉が降って来て自動書記状態に陥った時、一緒に降りて来る風景とか、歌詞におさまりきらない言葉を、歌詞より長く、ショートストーリーと呼ぶには短いくらいのサイズで、楽曲に添えられたらいいなと思って、リハビリしています。

リハビリが、日の目を見ることはあるのかしら…。

日の目を見ることがあるように、本田に会うために、久し振りに本田さん別動ユニットのライブに伺う予定でございます。


miyo

I wish you a Happy New Year! 

2014_nyc_blog.jpg

あけましておめでとうございます。
みなさまにとって、今年もすてきな一年でありますように。

May the New Year turn out to be the happiest and the best for you.
Wishing you good health, happiness, and peace always.





ここ数回、ブログアクセスの度、
あまりにログインしていないので
「IDなんだっけ…」「パスワードなんだっけ…」
って、ログインを弾かれて、みけんにしわしわしております。笑

2013年もまったりと自宅警備員として終了しましたので、
2014年は週に一度くらいは外出できるようになりたいです。
(あ、でも、仕事はちゃんとしておりますのでご心配なく。笑)

チワワンズもげんきです。



せっかく空夜coo:ya10周年の年でしたのに、
予定していたリリースが大幅に遅れてしまって
一部「もしや何か出るのでは!?」と
某所からの噂を耳にされていたみなさまには
ガッカリさせてしまったことと思いますが、
わたしもガッカリしていたので、笑
今年こそ!(←毎年言ってる気がする…)

海月がんばれ!


ちなみに今年の年賀状は
新譜のリリース時に使う予定だった写真の中から
プライベートショットを使用しておるのですが、
この撮影、白雪姫と黒い魔女をテーマにしておりまして、
寝かせてる間に、某有名歌手が最近
同じようなテーマでPVとか出してたのを拝見して、
なんとなくお蔵入りすることになりました。笑

いつかどこかで使い道があると良いのだけども。
(できれば年賀状以外で。笑)



…ともあれ、2月13日には
HaccaWorks*さんの『あかやあかしやあやかしの』が
PSPに移植されてリリースされますので、
その界隈でチラっとなにかしらお知らせできる
予定は未定です。たぶん。きっと。

それではみなさま、本年もユルっと
よろしくお願い申し上げます。

@miyo
http://www.miyo-web.net/

左様ならば。 

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新譜リリースのタイミングと重なったこともあり、ごく少数の親しい友人や仕事仲間以外には話しませんでしたが、ここでもよく話題として触れ、気に掛けて下さる方も沢山いらしたので、本日忌明けに際しご報告に参りました。

夏に、最愛の祖母を亡くしました。

曾祖母と祖母が女手ひとつで守り抜いた、祖母の望んだ自宅の、かつては宴会場だった部屋で、介護ヘルパーさんの協力を得ながら一人で介護を続けた父の見守る中、眠るように静かに息を引き取ったそうです。

わたしが祖母に会うために帰省した、わずか十日程後のことでした。

わたしが東京に戻ってからは一切の水も食事も拒否して口にしなくなり、まるで自らその時を知っているかのように亡くなったと聞きました。病院や施設を勧められることも多々ありましたが、今、この時代に、自宅で天寿を全う出来たことを、きっと祖母は喜んでくれている…と思いたいです。


お化粧が大嫌いだった祖母は、わたしがメイクする姿を鏡越しに面白そうに眺めるのが好きで、
「お化粧って面白いわね。おばあちゃんは嫌いだからしないけど、お化粧するのを見るのは好きよ。」
と、じっと覗き込んではよく笑っていたけど、お化粧大嫌いな上にへたくそだった祖母に死化粧を施しながら、今度はわたしが
「おばあちゃん、ちゃんとお化粧してたらきっともっとモテたのに!」
って笑う番。

薄くほお紅を乗せた祖母はまるで眠っているように安らかな表情で、その顔は年を重ねる毎に美しく、こんな風に年を取れたらいいなと思う可愛いおばあちゃんでした。


父子家庭で育ったわたしにとって父方の祖母は育ての母でした。

若いお母さんのようにイマドキのことは何ひとつ分からなかったけど、子供の頃にはそれで苦労したことも色々あったけど、料理も、裁縫も、通り一遍の作法も、人が人と交わり生きて行くということも、教えてくれたのは祖母でした。

祖母はずっと、自分が産みの母ではない、本当の母親にはなれないんだということをもどかしく思っていたようですが、わたしにとって彼女は母です。


十年程前から少しずつ認知症の症状が出始め、この数年は完全自宅介護の生活でしたが、緩やかにその時を覚悟する数年でもありました。

まだらボケが始まる頃まで書き続けていた祖母の日記には、

『(かつて祖母が営んでいた料亭の)鍋を食べたいと云ふから
(昔馴染みのお客さんの)家へ鍋を持っていつたら喜んで食べてくれたよ。
一人で淋しいのでなかなか離してくれない。
気の毒だつたが用事があるからと言つて帰つてきたよ。
私もあんなになるのかと心が痛んだよ。
気を張つて暮し乍ら皆さんに可愛がられるおばあちゃんにならないといかないね。
今は生きてるんだから精一杯皆に喜んでむらえる人になりたいなおばあちゃん。』


と書かれていました。


おばあちゃん。

おばあちゃんのお葬式にはね、昔のお客さんやおばあちゃんのお友達はみんなもう一足先に天国だから来られなかったけど、わたしが知らない間におばあちゃんがあれこれ色々世話焼きしてたたくさんの人たちが来てくれて、「お世話になった」とか「綺麗な人だった」とか「かわいいおばあちゃんだった」って言ってたよ。


どんなにしても、必ず、その時が来れば後悔するのだから、時間やお金と相談しなきゃいけない事情はあれど会えるだけ会おう、話せるだけ話そうと決めた数年。それでもやはり後悔は尽きません。


最後の会話は、もう誰のことも判別できず、まともな会話どころか言葉を発することも侭ならず、起き上がることも食事も、水分補給さえ困難になっていた祖母に、毎日数時間一方通行の会話をして、何か言いたげなら分からなくても頷いて、寄り添い、“最後かも知れない…”と思いながら共に時間を過ごしていた盆の帰省時。

わたしの帰り際に一瞬、まるでピタっとチャンネルが合ったかのように、

惚けていた顔が引き締まり、
しっかりと焦点の合った瞳でわたしを見つめ、
動けないなりに居住まいを直して
はっきりとした口調で、

「いつ帰るの?」

と、祖母が聞いた、それが最後になりました。


祖母は気ぃ遣いーの気丈な人だったから、まだ祖母が元気だった頃には、貧乏過ぎて笑うしかないような生活を送りながら盆や正月に無理をして帰省しようとするわたしはピシャリと「帰って来なくて良い」と言われていましたが(日記には「会えなくて寂しい」「会いたい」って書かれてたけどね)、認知症が進行してからは「会いたい「寂しい」「いつ帰って来るの?」「もう少し居られないの?」「一緒に暮らしたい」と駄々をこねて泣いてはわたしをよく困らせました。

気難しく寄った眉間の皺は認知症の進行と共に薄くなり、子供のように駄々をこねる祖母の姿を見ながら、本当はこんな風にいっぱい我が侭を言いたかったんだろうに、ずっと我慢しながら生きて来たんだなぁと切なくなりながら、わたしは彼女に自分の姿を重ねるのです。

『お姉ちゃんは神経質で頭の廻るよく働く人だから無理しないように』

と綴られた日記を読みながら、それはおばあちゃんに似たからだよ、と、苦笑いするのです。


こんな短い文章ではとても綴れない程、濃く壮絶な人生を歩んだ女性でした。わたしの生家は祖母の代までいわゆる花柳界のお仕事を生業としていたので、一般倫理的には良しとされない人生だったかも知れないけど、女のわたしにはその姿がとても逞しく、そして格好良く潔い、大和撫子に見えるのです。

大和撫子がただ清楚で慎ましやかで一歩引いて男性を立てる甲斐甲斐しい女性なんて嘘。凛として芯が強く、一本筋をきちんと通し、腹を据えたら最後まで貫き通す、慎ましやかだけど必要があらば自分が悪者になってでもきちんと言うべきことを言う、そういう強さを持った女性だから大和撫子なんだよ。


動物好きで世話焼きだったおばあちゃん。肉体はいつか土に還るもの。左様ならば仕方ありません。今はその入れ物を脱いで、先に旅立った、あなたの愛したたくさんの人たちと、たくさんの動物たちと、わたしにはまだ見ることの叶わない世界できっと酒盛りしながら笑っているのだと思わせて下さい。

ああ、一言、一度で良いから、言えばよかった。
「おかあさん」って。
おばあちゃんは、お母さんだよ、って。


わたしが分かり易く「音楽をやってます」って、一般的に(実際にはそうでなくても)成功しているように見せる為には、分かり易いメディアに出ること、そういう方面を目指すことが一番の親孝行と分かっていながら、そういう売り出し方やお話を若い頃には何度かいただいていながらそれを選ばなかったこと、わたしは後悔していないけど、やっぱり祖母はとても心配していたようで、祖母の日記や、わたしに届くことのなかった手紙を読み返しながら「ごめんね」って呟きつつ、誕生日を迎えてまたひとつ年を重ねてしまった売れない歌うたいですが、未だ手探りしながら、でも、今立っている二本の足をみつめて、立ち止まってはいけないんだ、と、改めて思った次第です。薄ら細くとも、一本決めた筋があるのだから。無名のままで在っても、わたしが何時か旅立つ日に、わたしの声を思い出してくれる人が居ることを願いつつ。

わたしは祖母のように強くないから、くよくよ悩んで迷って不安になっては落ち込んだり立ち止まったりするんだろうけど。


今まで祖母を案じて下さった皆様、介護情報を下さった皆様に、心から感謝申し上げます。父も大変喜んでおりました。長くなってしまいましたが、以上をもちましてご報告とさせていただきます。最後までお読みいただきありがとうございました。


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おばあちゃん、可愛いくてだいすき!
@miyo

救急車を呼ぶタイミングがわからない。 

120919.jpg

本文とは何の関係もないニコ山さん。
もうすぐ3さい。


昨日の夕方、いつもみたいにデスクに向かって仕事しつつ、
Twitterのリプライに気付いてお返事しつつ…って
普通に何の変哲もなく過ごしていたら突然。

今まで経験したことのない腹部の鈍痛に襲われまして。


子供の頃は胃腸が弱くてよくお腹を壊してたんだけど、
大人になってからはお陰様で
「ストレスで胃が…」的なことも皆無で、むしろ
「ストレスたまったからステーキたべたい!(`・ω・´)」
みたいな頑丈さだったんですが。

女性特有の生理痛は割と重たい方だと思うので
腹部の鈍痛には慣れていた(けど痛いは痛いんだよ)
…つもりだっただけに「なにこれどういうこと?」状態で。


なんだろう?
右側だけが痛い。
ていうか、脇から背中まで痛い。
終わったばかりだから生理痛じゃないだろうし、
そもそも痛み方が違うし、ていうか声出ないし、
ちょ、はむちん、寝てる訳じゃないから舐めないで!
ていうかムギニコ乗るな痛い!
とか色々考えてる余裕があるってことは
激痛って言うにはまだ足らないのかな…
激痛ってよく言うけど(わたしも軽く使うけど)
そもそもどの程度が激痛なの…
いやでも動けないし…声出せないし…
これって救急車呼んで良いレベル?
救急車ってホントに緊急の人が使うものだよね…
大したことない人が呼んだら社会的に悪よね…
いや待ってその前に電話できないよねわたし…
これって大したことないのレベルに入る?


…てなことを考えながら俯せに倒れ、
痛みに耐えながら浅い呼吸で何故か119ではなく
「すみません、(誘って頂いてた)ライブ行けません」って
律儀にメールするわたしは冷静なのかアホなのか。笑

一瞬痛みが引いた時に、何とか歩いて最寄りの内科へ…
と思って立ち上がった途端に再び痛みが襲って来て、
携帯片手に「救急車…呼ぶべき?うーん…うーーん……」
って悩みながら、

痛い痛い痛い痛い痛い痛い
一時間後には平気になってないかなー
これずっと続くのかなー
わたし死んじゃうのかなー痛いよー
見られたら恥ずかしいものは日頃から捨てておくべきだよー
痛いよー

…って、痛みにより意識を失っていたもよう。


何件目かの友人からの電話で目が覚めて、
時計を見たら2時間くらい経過してたんだけど、
その時には「さっきの夢!?」ってくらい
すっかり痛みは消失していて、
でもさすがに気持ち悪いから自主的に
徒歩1分圏内にある小さな開業医に駆け込んで
経緯を説明したんだけど、
既に痛みがないから病巣を確定できず。

最も可能性が高い症例をふたつ提示されたけど、
可能性が高いは高いんだけど
典型的な症例とはちょっと違うと首を捻られ。
簡単な検査をしてもクロ判定が出せず。

「もしかしたら今夜、もう一度、
 同じような痛みが来るかも知れません。
 可能性の捨てきれないこっちの病気に関しては
 ボクの専門外なので明日婦人科を受診して下さい。
 痛み止めを出してしまうとその痛みに気付かないで、
 最悪生死に関わる可能性も否めない病気なので、
 もし今夜また痛みが来たら、その時は迷わず必ず
 救急車を呼んで下さい。」

と、医者に釘を刺されて帰宅。
不安な夜をほぼ一睡もできずに過ごして
ついさっき、内科を併設した婦人科に行って来たんですが。

が。

なんでこう、婦人科医っていじわるなの…。
電話予約の段階から何度も説明してるのに
直接説明もしてるのに、右から左にスルーしてたみたいで
意味不明なキレ方されるし、こっちがうんざり。

色々聞きたいことがあったけど、
有無を言わせない感じで「特に異常ないです」って、
痛みがあった場所も鼻で笑われ
「そこ子宮じゃないですし」って言われて
(そんなことわたしだって知ってるけど…)
隣の内科に移動。

そしたら隣の内科では違うドクターが
「内科的には腎臓か卵巣を疑いますよね…
 あとは一時的な腹膜…炎…(ハテナ)」
って、昨日の内科医と同じ所見。
しかもそんな、ハテナ顔されてもこっちが困るよ…。
それに腹膜炎てそんな簡単に済ませて良いものだっけ?
もーなんなのー!?

…って思いつつ、腹部エコーでも結局
コレと言った悪いところは見つからず、
様子見って言われて、
「おなか痛い時はこれ(はぁと)」
みたいな無難な漢方薬を処方され、
わたしは頭にハテナを10個くらい浮かべた状態で
1まんえんくらい支払って帰宅。


結論。
昨日救急車呼べば良かった。


昨日の内科医には腎結石じゃないかって言われました。
もうひとつの可能性は卵管捻転。
痛み方とかちょっと一般症例と違うけど…って。

あれね。真心ブラザーズさんが歌ってる『STONE』ね。
あれの親戚兄弟みたいなやつ。

誰がつけたのか人間が経験する痛みランキングの
上位に鎮座されている痛みらしいので、
生理痛や陣痛を軽く飛び越えた、
椎間板ヘルニア中にクシャミするより
痛い痛みらしいので、耐え切ったわたしは
痛いのキライなはずなんだけど、
もしかしたら痛みに強いのかも。

いや、でも、やっぱり痛かったんだけど!
痛いのも病院も嫌いだけど!

ともかく、今は平穏な暮らしに戻っております。
ほんとになんだったのあの痛み…。
もう二度と来ませんように(っω;`。)



ちなみに帰宅して
開きっぱなしだったブラウザの
罹った病院の婦人科ページをチラ見したら

『婦人科は敷居の高い科であるとよくいわれます。
 確かに内診などの婦人科の診察に抵抗を感じるお気持ちも十分理解できます。
 勇気を出して受診していただいた方に対して、
 診察はなるべく心身の苦痛が少ないよう心がけて行っております。』

って書いてあった。

うそつき!!


@miyo
http://www.miyo-web.net/

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